ブログ開設

 

 

「友人の影響でブログを開設する」

 

 

twitterが好きでよく呟くのだが、140字という縛りプレイの中での言葉選びになる

僕にマゾヒズムがあるわけでもないが、その縛りなるものに快感を覚えることもある

 

そんなツイッタラーの僕がなぜブログを開設するに当たったか

・書きたいことを字数制限下でかけない

・フォロワーの目を気にして思ったことをかけない

 

これが主な理由である

 

そして大学を卒業するまでの役11ヶ月、これを毎日やり続ける

5年後あたりに見返して当時を振り返るにはもってこいであるからしてブログを開設した

 

 

 

「嫌いなことは驚くほど続かない」

 

 

 

僕は自分に酔うことが趣味だと言っても過言ではない

格好いいと思うことをやってる自分を格好いいと思いたいのだ

 

だが、この考え方自体がそもそも格好良くない

 

格好良いを追求すればするほど自分の追い求める格好良いから外れていくのだ

 

なんたるジレンマ

恐ろしい

 

話を戻すが格好いいと思ったことでも嫌いなことは続かないものである

 

高校時代に芥川龍之介太宰治の書く文章に憧れを抱いた

実際、彼らの時代の本を読み漁ったりもした

 

驚いた

 

気づいたら同じ文を6回読んでいたのである

 

恐ろしいのは5回目までそれに気づいていないということだ

 

ここで確信した

本を読んでいる自分に酔っていただけだったのである

 

この確信から嫌いなことを続けることはやめた

格好よさを求めていたがそれは幻覚だった

 

 

そして

ある時から「好きなことで生きていく」という言葉が浸透した

 

憧れた

追い求めた

 

同時にそれは手に入らないものだとも気づいた

 

好きなことで生きるためには好きではないことをする必要がある

 

 

 

読書が嫌いで続かない僕

好きではないことの犠牲も必要だと気づいた僕

 

 

僕の中で「堕天使VS悪魔」が繰り広げられた

 

決着は

 

着かなかった

 

 

そこで気づいた

 

格好良いからという理由で手をつけた読書

 

読書の本来の意味は?

 

文字通り、書き物を読んで自分に落とし込むことである

 

ただ僕は書き物を読むことが嫌い

 

では

書いてみれば読書の代わりになるのでは?

 

ブログ開設にはこんな実験的な気持ちもある

 

 

自分に酔うこと、格好良いと思うことから少し退き、

新たな若松航汰を提示したい

 

 

 

これが第一歩である

ぜひ、これからも読んでいただきたい

 

 

 

 

ps,こんなん続く気がしない驚くほどに